走れ豪太郎

　それから十日が過ぎた。
　真夏の陽射しが照りつけるスタジアムでは、練習試合を控え、両チームの選手がグラウンドに姿を現した。
　ウォーミングアップのランニング、ＦＣ葵の先頭にいるのは豪太郎だった。

「……いいでしょう」
　一時間に及んだ入団テスト――立ち会ったねじ子に言わせれば「大の大人の追いかけっこ」――の末、賢吾は豪太郎の加入に合意した。
「でも、特別扱いはしませんから」
　そんな監督の警告を受けながらも
「望むところです」
豪太郎は上機嫌で引き上げて行った。
「いくら豪さんでも…今度ばかりは、無理なんじゃないかなあ」
「まあ、ちょっと話題にでもなればいいさ」
　そんなねじ子と賢吾の心配をよそに、豪太郎は次の日の夕方になると本当にヘリでやってきたのだった。
「よろしく頼みますよ！」
　豪太郎の後には、イリアを初めとして個人で契約したコーチやフィジカルトレーナーが続々とグラウンドに降りてくる。
　さらには大型のトレーラーハウスが公園の駐車場に止まると、コンテナの中では仰々しい顔つきのシェフ達が忙しく料理を作り始めた。
「……ちょっと、聞いてないですよ」
　軽やかに体をほぐす豪太郎に賢吾が詰め寄ったが、
「スポンサーとかじゃなくて、個人のやつを持ち込むんだから、別にいいだろ？あ、僕だけじゃなくて、みんなも自由に使っていいからさ」
事も無げにかわされてしまった。
　あっけに取られるＦＣ葵の面々を尻目に、豪太郎は二時間ほど練習に参加すると、公園脇のコインシャワーを浴びてシルクのガウンをまとい、出来立てのイタリアンと極上ワインを惜しげもなく周囲に振る舞った後、再び機上の人となり東京へ帰って行った。
「じゃ、お疲れさま！明日もよろしく！」
　この事態にはねじ子はもちろん、ねじ子の両親も、祐司も、サポーターも、賢吾も、心の底から思った。
「この人は、本気だ……」
　そして、少しあきれた。
　四日目を迎えたところで、話を聞きつけた地元のテレビ局が取材にやってきた。
　興味本位のインタビューと型どおりの撮影を終えたスタッフは、引き上げようとしたところで意外な光景をカメラに収めることになった。
「社長お時間です！」
「もう少し！もう少しだけだよ！」
「ダメです！この後、会議があるんですよ！」
「そんなのテレビ電話でいいじゃないか！」
「ダメっつったらダメです！」
　練習が終わるやいなやヒステリックに叫ぶ金髪の美人秘書と、泣いて懇願するＩＴ企業の若社長。
　さらに飛び立つヘリコプターの窓際には、ガウン姿ののまま豪太郎が悲しげな表情で――それは話題を呼ぶのに十分すぎるインパクトだった。
「あれ、演出ですよね？」
　後日、練習を見学するサポーターにそう尋ねられ、イリアは苦笑しながら答えた。
「少なくとも、私は本気だったけど？」

　おそらく、豪太郎も本気で泣いていた。
　本気だからこそ、サポーターの数も熱意も、以前とは比べものにならなくなった。
「ＦＣ葵！ＦＣ葵！」
　ゴール裏からは、力強い応援が続いている。
　その中に、ねじ子と祐司、イリアの姿があった。
　巧も、ゴルフ仲間を引き連れてメインスタンドに陣取っている。
「なんだサッカーってのは、代表戦じゃなくっても案外おもしろそうだなあ！おうビールねえかビール」
「フットサルっつーんだっけ？俺らもチーム作ったら、女子高生と試合できるんじゃねぇか？」
「実はさ、俺、国体で釜本とやった事あるんだぜ」
「お前、野球部だったじゃねえかよ」
　そんな会話を交わしつつ。
「と、そろそろだぜ」
　祐司がスコアボードの大型スクリーンを指さした。
　サポーターも応援をいったん止め、何事が起きるのかと画面を見つめていると、
「あれ、祐司君じゃん」
軽快な音楽に乗って、自分の店のレジでお客様に頭を下げる、祐司の姿が大映しになった。
　サポーターにどよめきが広がる中、当の祐司は顔をほころばせる。
「リテイク、四十五回やったんだ」
　とてもそうは見えない力の入った演技だったが、それから商品の棚卸し、清掃、お使いに来た子供の頭をなでるといった、心温まるシーンが続いた。
「俺の娘なんだ。勘のいい子だよ、これは一発で決まったんだ」
　父親同様、歯を食いしばった笑顔が印象的である。
　最後に、
「みなさまの生活に潤いを。長谷川商店」
とテロップが入り、
「僕も、ＦＣ葵を応援しています！」
今度はさわやかすぎる祐司の声が、スタジアムに響いた。
　画面では、直立不動の祐司を挟むように、ユニフォームを着た賢吾と豪太郎が両脇に立ち、力強く肩を組んでいた。
「よろしく！」
　祐司に負けず劣らず、気取った声で二人は叫んだ。
　一瞬、スタジアムが静けさに襲われ、しばらくしてやってきたのは爆笑の渦だった。
「なんだよ、ここ、感動するとこじゃねぇか？」
　悲鳴にも似た祐司の叫びを聞いて、ようやく拍手の輪が広がった。
「そ、それでいいんだよ。それで」

　観客席のやりとりを聞いて、選手達も思わず顔がほころんだ。
　――気がつけば、すっかり秋月さんにペースを握られたな。
　リラックスの中にも程良い緊張感を感じながら、賢吾はつぶやいた。
　確かに、資金は一円も増えていない。
　チームのメンバーも一人増えただけで、相変わらず主な収入源はアルバイトだし、正式なスポンサーと言えば、祐司のコンビニからサプリメントやドリンクが差し入れられる様になったくらいだ。
　だが、チームのムードはこれまでになく、上向きだった。
　練習試合、入場は無料とは言え、七割の入りとなったスタンドがまぎれもなくその原動力だ。
　その気になれば、強引に援助を持ちかける事だって――いや、チームの権利を買い取る事だって可能な筈だったのに、豪太郎はそれを選ばなかった。
　代わりに、好奇の目で見られることを覚悟の上で、チームの広告塔を買って出た。
　今思えば、半分は好きでやっていた様にも見えるが――お陰で今日の声援は、腹が揺さぶられるほどに大きくて頼もしい。
　サッカースクールの教え子達やその家族も、スタンドに姿を見せている。
　――行けるぞ。
　賢吾は、いつにない手応えを感じていたた。
「行きましょう！」
　ストレッチを終えた豪太郎が、グローブを両手にはめるとゴールマウスに向かって走り出した。
「よし」
　賢吾も後を追うように、ボールを入れたネットをかつぎ上げた。

　いっこうに衰えない陽射しの下、試合が始まった。
「序盤から、ライン上げて行こー！」
　豪太郎は自陣の最後尾から厳しい声でチームメイトを叱咤する。
　ゴールキーパー。
　テストであれだけ派手な足技を見せておきながら、豪太郎はこのポジションを希望してきた。
　確かに今までのキーパーも、心もとない人材ではあったが――
「もっとこう、前の方のポジションだって、遠慮しなくていいんだけど。ウチはどこも穴みたいなもんだから」
　再三の問いかけにも、豪太郎は答えを変えなかった。
「僕はここがいいんだ。ねじ子さんもゴールキーパーが、一番好きみたいだしね」
「何もそんな理由で」
　そう思った賢吾だが、あれだけ緩かったディフェンス陣が、豪太郎のコーチングでそれなりに揃った動きを見せ始めると、うなずかざるを得なかった。
　――この人、本当に社長なのか？
　そんな疑問さえ浮かぶ程に。

　五分が経過した。
　ボールは相手チームが回しているものの、なかなか葵の守りを崩せないでいる。
　いつもと勝手が、明らかに違う。
　ゴールがやけに遠い。
　苦し紛れに離れた位置からミドルシュートを放った――これまでの葵なら、三回に一回は失点していた場面だ――が、待ちかまえていたかのように豪太郎が正面でキャッチした。
　そのあぶなげない動作に、ゴール裏の短い悲鳴が一瞬にして拍手に変わる。
「行くぞー！」
　フィールドに声を響かせると、すばやいロングキックで前線にボールを返した。
　もちろん、そのまま相手ゴールまで簡単に持ち込めはしなかったが、
「押し上げろ！取られても中盤で奪い返すんだ！」
　これまで賢吾がベンチから張り上げていた指示を、豪太郎が叫ぶ。
　近くで聞こえる分選手達に伝わりやすく、それだけチームの動きは活性化していく。
　相手に渡ったボールを奪えはしなかったものの、ＤＦがスライディングでボールを外に蹴りだし、いったん流れを止めた。
「よし、それでいい！」
　賢吾と豪太郎は、二人同時に叫んだ。
　その後も攻め上がる相手チームをＦＣ葵はことごとく跳ね返し、危ないシーンは何度かあったものの、互いに無得点のまま前半を終了した。

　ゴール裏では、いつになく熱いムードが広がっていた。
「なんだか今日は、サッカーの試合を見てるみたいだなぁ」
　これまでとは見違えるほど積極的になったチームに、普段は辛口のサポーターからも不器用な誉め言葉が飛ぶ。
「秋月さんさあ、社長辞めて、ウチにずっといてくれないかねえ」
　後ろの席の年配サポーターが懇願すると、
「いま頼んだら、本当に辞めそうな気がする……」
ねじ子がそう答えて、客席はさらに沸いた。

「いい流れだった！」
　控え室で開口一番、賢吾は選手達の健闘を称えた。
「いつもより動いた分、体はキツいと思うが、後半も一つ一つ丁寧にプレーしていこう！」
　短い指示だったが、生まれ変わったチームにはそれで十分だった。
　部屋を揺るがすような大声で、汗まみれの選手達から返事が返ってきた。
「大丈夫か？」
　シャワールームの傍でユニフォームを脱ぎ、自らマッサージを施す豪太郎に、賢吾は尋ねた。
「ああ、まだまだ行けます……っててて。汗って、結構染みるんだなあ」
　度重なる接触プレーで、脚や腕にはあざや擦り傷がいくつもできていた。
「ま、そろそろラクをしたいんで。後半頼みますよ、監督」
「言うね、若社長」
　グローブを拾い上げて豪太郎の肩を叩くと、賢吾はジャージを脱ぎ始めた。

　両チームの選手達が控え室から出てくると、ＦＣ葵のサポーターがまたざわめいた。
「おいおい、賢吾、出るみたいだぜ」
「本当か」
「本当だ」
「マジかよ」
「マジだぜ！」
「コール覚えてるか？」
「ああ、もちろん！」

♪ケンゴ！ケンゴ！ゲットゴール！
　ケンゴ！ケンゴ！決めろよゴール！

　なつかしい現役時代の歓声に右手を挙げ、賢吾は二年ぶりにトップ下のポジションへと返って行く。
　豪太郎もいったんゴールマウスの前に立ったものの、二三度ジャンプをするとサポーターがいるゴール裏まで小走りにやってきた。
「ねじ子さん！」
「なに？」
　シートから立ち上がって、ねじ子が答える。
「悪いけど帽子、貸してくれないか？こっちのゴール、陽射しが目に入るんだ」
「うん、わかった！」
　投げられた黒いキャップを受け取ると、大袈裟な身振りで投げキッスを返し、豪太郎はフィールドへと戻っていった。
　その広く頼もしい後ろ姿は、ねじ子が愛読していたサッカー漫画のキャラクターにも似て。
　サポーターも、すかさず応援歌で送り出した。

♪僕らのクラブのキーパーは
　その名も秋月豪太郎
　強くて優しく力持ち
　僕らの秋月若社長

「ちょっと、誰？『力持ち』のとこ『女好き』って言った奴は！」
　唐突な野次に、ねじ子は半ば本気で怒りだした。
「はい、あたしでーす」
　イリアが笑いながら手を挙げた。
「やっけに絡みますねー、今回は」
　口を下に曲げながら――不機嫌な時の癖だ――、ねじ子が言った。
　イリアも負けじと眉をしかめながら答える。
「本当はね、電話があった時には出張、とっくに終わってたのよ」
「え？じゃあ何しに、豪さんロンドンに残ってたんですか？」
「……サッカーの練習よ」
「本当ですか」
「留学時代に通ってたクラブに寄るんだって、そりゃもう夢中になってたわ」
「なんだか悪いことしちゃったなあ」
「ほんと。予定なら、そのあと私ドイツに寄ってくはずだったのよ。『彼氏』と一緒に」
「あー、ごめんなさいごめんなさい！気づかなかったとは言え……」
「いいのよ。実家なんて、いつでも帰れるんだから。でも今度の騒ぎで、わかったわ」
「何がですか？」
「『サッカーは少年を大人に、大人を紳士にする』なんて嘘っぱちだって事。大人も少年に戻っちゃうんだから！」
　そこまで言うと、イリアは思いを振り払うかのように声を張り上げた。
「ＦＣ葵！ＦＣ葵！キーパー秋月、男好…うわなにをするやめろ！」

　後半が始まった。
　ＦＣ葵はまずボールを賢吾に集め、そこから突破口を見い出す作戦へと切り替えた。
　二年のブランクがあったとは言え、さすがは元Ｊリーガーである。
　二重三重に張られた相手の包囲網をやすやすと抜けだし、サポーターの手拍子がテンポを増す毎に、ボールは前へ前へと進んでいく。
「行けーッ！」
　歓声に押されるように賢吾からゴール前のＦＷへとパスが飛び、だがシュートは惜しいところで枠を外した。
「それでいい、それでいい！この調子で行こう！」
　豪太郎も最後尾から声で押し上げる。
　一度ならまぐれと思っていた相手チームも、二度三度とピンチが続くとさすがに顔を見合わせた。
「なんだか、別のチームとやってるみたいだな」
「ラインを下げて、なるべくこっちのゴール前に人を集めよう」
　そこでボールを奪い、いわゆるカウンター攻撃で点を取ろうというのである。
　必然的にボールは賢吾達の間で回り始めたが、最後の一六．五メートル――ペナルティエリアの先へはなかなか進めなくなった。
　――そう来るか。
　賢吾は、不思議なほど落ち着いている自分に気がついた。
　これまでなら、ベンチから立ち上がり、あれこれと細かい指示を送り始めているところだ。
　――まだ、こちらから仕掛ける時ではないな。
　戦況が、手に取るようにわかる。
　その違いは、自分がフィールドにいる事だけではない。
　ゴールを任せられる男がいる。
　その違いの、なんと大きな事か。
「それッ！」
　自陣のペナルティエリアぎりぎりに滑り込んで、豪太郎はボールを抑えた。
　それなりに整えられたとは言え、芝の揃いは本場のそれに敵うわけもなく。
　ところどころ剥き出しになった地肌がスライディングの妨げになる上、ボールの弾みも不規則になる。
　――そろそろ先取点、頼みますよ！
　祈るように豪太郎はボールを前線へ送り出した。

　試合は膠着（こうちゃく）したままロスタイムに入り、そこでアクシデントが起きた。
　ゴール前のボールを巡って、豪太郎がしたたかに背中を地面に打ちつけてしまったのだ。
「――っ！」
　痛みに加え、息のできない辛さが豪太郎を襲う。
　しばらくしてようやく呼吸はできるようになったが、あおむけ倒れた体はゆっくり動かすこともままならない。
「ボールは……」
　のぞき込む賢吾に途切れ途切れに尋ねると、
「大丈夫だ、クリアした」
励ますように、大きな声が返ってきた。
　何か答えようとした豪太郎だったが、不規則に息を吐くのがやっとだった。
「どうする、交代するか？」
　賢吾の声を聞きながらどうにか呼吸が楽になってくると、ふと、豪太郎の目に澄んだ青い空が映った。

　――俺、なんでこんなに、夢中になってるんだろう。

　ねじ子の同級生を助けるだけなら、もっと仕事として割り切る手もあった筈だ。
　勝ちたいだけなら、もっと巧いメンバーを入れて周りを固める事もできた筈だ。
　なぜ、こんなにへとへとになるまで、プレーをしているのだろう。
　なぜ、こんなすり切れた芝の上で、格好悪く倒れているのだろう。

「お金は大切だが、全てじゃないんだぞ」

　もう何年も前の話になる。
　ロンドンにあるアマチュアのサッカークラブに、十三歳の豪太郎は通っていた。
　まだ英語は拙く、よくチームメイトからからかわれていたが、彼のボール捌きを笑う者はいなかった。
　言葉が通じなくても、フィールドで走り、飛び、ボールを交わせば、お互いの気持ちはいくらでも通じあった。
　そんなある日。
　プロ入りが決まって有頂天になる年長のプレイヤーに、監督は諭すように言った。
「お金は大切だが、全てじゃないんだぞ」
　続けて、こうも。
「確かにあそこはいいチームだ。スタジアムも立派だし、経営も悪くない。そこの目に敵ったお前は、プロ選手として最高のスタートを切った。だが忘れるな、札束をいくらフィールドに並べても、いくらスパイクに詰めても、ボールは思い通りに飛んでは行かんのだよ」

　――まったく、その通りだなあ。

　今あらためて、そう思う。
　サッカーがお金でどうにかなるなら、とっくにどうにかしている。
　どうにもならない「何か」を成し遂げるために、豪太郎はフィールドに立っているのだ。
　このチームのために、この場所で、まだやれる事がある。

　――やるよ、監督。

「……俺、やるよ。最後まで、やるよ」
　ゆっくりと豪太郎は体を起こした。
「行けるか？」
「ああ！」
　背中の痛みが消えたわけではない。
　これまでに受けた傷やあざからも、しびれるような痛みが伝わってくる。
　それでも、豪太郎は立ち上がった。
　自分の体を確かめるように、二度三度と軽くジャンプを繰り返す。
　――行ける、行ける、大丈夫！
　そう自らに言い聞かせると、地面に落ちていたキャップを被り直した。
♪ア・キ・ヅキ！　ア・キ・ヅキ！　ア・キ・ヅキ！
　サポーターからは、スタジアムが揺れるような歓声が上がった。
「やっぱり、帽子被ったキーパーって最強〜ッ！」
　ねじ子も身もだえしながら叫ぶ。
「あれ、やりますよ」
　冷静に、豪太郎は賢吾に告げた。
「本気か」
「ここまで来たら、勝ちたいじゃないですか」
「……わかった」
　頷きながら、賢吾はポジションへと戻っていく。
　ホイッスルが鳴った。
　ゴールキックはこれまでと変わらぬ軌道を描いて、前線へと飛んでいった。
　――痛くない……痛くない！
　誰にも気づかれないように、豪太郎は叫んだ。
　もう時間がない。
　自陣から最後のボールを受け取った賢吾はしかし、攻めあぐねたかのように中盤で足を止める。
「ロスタイムだぞーっ！」
「シュートに持ち込めー！」
　スタンドのあちこちから、声が上がる。
　あっという間に、相手チームの包囲網が賢吾の行く手を遮った。
　――まだか。
　それでもしっかりとボールをキープしながら、賢吾は気配を待った。
　――まだか！
　顔は相手ゴールを見据えたまま、視線が一瞬、後ろへと動く。
　それは、風のような速さだった。
　――来た！
　帽子を跳ね飛ばさんばかりの勢いで、豪太郎が右サイドを駆け上がってきたのだ。
　見る見るうちに賢吾たちを追い抜き、相手ゴールへと迫っていく。
「走れ、豪太郎！」
　賢吾の、チームの、サポーターの思いを込めたパスが、豪太郎に向かって飛んでいく。
　完全に裏をかかれた相手チームだったが、それでも最後の力を振り絞り、ボールを追いかけていく。
　まだボールは宙を飛んでいる。
　必死に走る豪太郎だが、わずかにボールが先へ進んでいる。
　――間に合えっ！
　豪太郎はスピードをつけたまま空へと飛び上がり、思い切り右足を伸ばした。
　――行けーっ！
　足先に引っかけるようにして当てたボールは、同じくゴール前へと走り込んでいた賢吾の元へと戻っていく。
　――決・ま・れーっ！
　渾身の力でジャンプすると、賢吾の頭はしっかりとボールを捕らえた。
　はじかれた様に、ボールはそのまま相手キーパーの指をかすめ、ゴールネットを大きく揺らした。