王子様と私

　五杯目の大ジョッキを飲み干したイリアは、その勢いで二匹目の鱈ムニエルを平らげた。
　ビールのお代わりに来たウエイトレスに三皿目のアイスバインも頼むと、ぶあついチーズを乗せた黒パンにかじりつく。
　相変わらずの食べっぷりに、ぷぢ子は半ば呆れつつ、頬杖をついて見守っている。
　その傍らで、テーブルに伏して眠りこけている、ねじ子。
　あの展示会から三日後の土曜日。
　夏コミまでは、あと一週間を切った。
　徹夜を続けてようやく今朝、ねじ子の原稿の上がった。
　お世辞にも大手とは言えない彼女だから、常識的に印刷が間に合う時期ではないが、そこは世界一の大富豪を彼氏に持つ同人女である。
　最新型のＤＴＰ装置と一流のオペレータが、いまごろ彼女のやおい本を量産しているはずだ。
「幸せそうな寝顔しやがって」
　たわむれに箸で鼻をつまんでみる、ぷぢ子。
「しかし、気に食わねえな、そいつ――美貴だっけ？」
　イリアの咀嚼が止まった。
「何の目的があるんだか知らないけど、十何年ぶりかの再会でしょ？もう少し大人の態度って取れないもんかね」
「――無理よ」
　吐き捨てるように、イリアが言った。
「思い出すのが嫌というより、思い出せない。あいつに受けた仕打ちを。医者にも掛かったんだけど、忘れることによって精神がバランスを取ろうとしてるらしいの。それくらい、辛い事を――いや、正直もういいって気はしてる。今さらだし。あれから何年も経ってるし。でも、こっちは許してる訳じゃない。そこへ何にもなかった様な顔をして近づいてきたところが、何とも奴らしいというか、進歩してないって言うか」
　ぷぢ子が言葉をつなぐ。
「こっちはさんざん苦労してさ、トラウマ隠してフツーの人の練習してさ、ようやくここまでやってきたってのに『あら？あんたみたいな種類の人間も、まだ生きてたんだ。ふーん』みたいな笑顔振りまいて。やってられないよな」
　会話はそこで途切れた。
　ホールの喧噪だけが、黙り込んだ二人を取り巻く。
　と、軽快な着信音。
「ムーンプリズムパワー・メイクアップ！……ほら、起きろよプリンセス」
　微動だにしないねじ子の頭に、ぷぢ子が愛を込めた張り手を見舞う。
　低い声でうめきながら、ねじ子は携帯を取り出した。
「ぐぁ……も、しもし……豪さん？」
　歯茎をむき出して威嚇するぷぢ子をよそに、ねじ子の声はオクターブを上げていく。
「今？イリアさんとぷぢ子と飲んでるところ。印刷終わった？ありがとう！さすが財力を司るお金の守護聖様！今度『お嬢ちゃん』って呼んで……え、わからない？いや、その……あ、はい、代わります」
　満面の笑みをたたえて、ねじ子は携帯を差し出さす。
「はい、イリアです……。……わかりました。ありがとうございます。では」
　電話を切ってやや沈みがちな表情のイリアを、心配そうにねじ子とぷぢ子がのぞき込んだ。
「ああ、大丈夫よ。さっきの、アンリ王子の話。欧州アキヅキがビジネスパートナーになって、今後の面倒も見てくれるんだって」
「よかったねえ」
　事態を良く飲み込めないまま、ねじ子が慰める。
「あの国、実はかなり財政的に行き詰まってたの。観光くらいしか目玉はなかったけど、これで何かのきっかけになればいいなあ。社長も何度か行ったことがあるから、私からもお願いしたらいろいろ力を貸してくれて。まずは一安心ね。でも……」
「王子様のことかい？」
　心境を察して、ぷぢ子が尋ねた。
「ふふ。そうね。なんか、寂しい目つきしてた。こっちのくだらない『しがらみ』がなかったら、もう少しいい思い出が作れたかも。何ができたってわけじゃないけど」
「アンリ王子……ユーロネット……クラインバルト公国……これ？」
　いつの間にかノートパソコンを開いていたねじ子が、検索ページでアンリ王子を探し当てていた。
　日本語ページを始め、海外のものも多くヒットしている。
「すごいじゃない、ねじ子さん」
「へへへ。最近、会社が更にヒマなっちゃったんで、こんなことばっかり上手くなって」
「誉めるべきか憂うべきか、微妙だなー」
　ぷぢ子の心配をよそに、続々とデータが画面に集まってくる。
　ねじ子からマウスを譲ってもらい、イリアの表情が崩れていく。
「あー、やっぱりかわいいーっ。有明で会ったときはね、これよりちょっと短い髪型だった……んー、少しは話しておけばよかったなー……」
　歓喜の声を上げていた彼女が、ふいに黙った。
　言葉は発しないものの、あまりの剣幕にねじ子とぷぢ子がそっと画面を覗いてみると、どこにでもありそうな日記ページが映っていた。

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８がつ３にち（きんようび）はれ

　こんばんはー、ミキ姫でーす(^^)/。毎日暑い日が続きますネ！ミキは今日、有明のネットワークショーに行きました。そう、マイクロミニぶぁりぶぁりのコンパニオンさん……なら、うれしいんですけど、もちろん本来のまじーめな仕事ですよ。エッチな想像した殿方、掲示板で懺悔なさい！
　……コホン。えー、もちろん有能なあたくしですから、海外の方と英語なんかで商談したり。今日のパートナーは銀髪の美少年、アンリ王子ちゃん（わぁお）でした。ほんものの王子なの。すごいでショ！でも最後に超サイっテーなイヤミブス女に会って、ちょっとブルー。
氏ね！ブス女！
あ、キャラじゃない事しちゃった。反省。てへっ(^^;。 でもイヤですよね、執念深い奴って。ふう…。