クラインバルトの城

　生きた心地がしない、とはこのことだろう。
　血の気の引いた顔で、ねじ子は大広間のテーブルに座っていた。
　向かいには、件のスーツの男。
「大丈夫かよ」
　隣に座った、ぷぢ子がささやいた。
「しょうがないから平謝りに謝るつもりだけど、最悪の場合はぷぢ子……」
「？」
「お願い、在庫を……在庫を燃やして！」
「わかった！」
　二人の目には、涙すら浮かんでいた。
「だから、そんな事態じゃないんですってば」
　諭すように、イリアが言った。
「だって、ピカ……」
「あれが訴えられたら、世界中の子供たちも訴えられます」
「そうなの？」
「大丈夫よ、黄色いのも青いのも。黒いのだったらわからないけど」
「うわぁ」
　以下、イリアとアンリの通訳で、スーツの男――ベルギーはブリュッセルに本拠を構える画商、ベルトランとねじ子の会話は進んだ。
「初めまして。知らない事とは言えマダム・アキヅキにこの様なご無礼、まずはお許しいただきたい」
「正直驚きました、こんなところまで来てお尋ね者に……」
「昨日、私の元に連絡がありましてね。絵の主は観光客だから、すぐ探さないと……それで、新聞に載せてもらったわけです」
「誰がそんな事を？」
「私どもの商売、情報が命でして。こちらの国にも、なにかあったらと連絡網を置いてあります」
「なるほど……でも私の絵に、そんなに価値があるんですか？」
「奇跡としか思えません。あの絵が現代に蘇るとは」
「？？？」
「こちらをご覧いただきたい――十七世紀にこの地方で描かれた絵画の目録です」
「……アニメ絵？まんまアニメ絵じゃないですか。ほんとにこれ、そんな昔に描かれたんですか？」
「事実です。極限までにシンプルなライン、大きくデフォルメされた目と胸、それでいて全体からにじみ出る躍動感――わずか百年足らずですが、この国に独自の文化が花開いた時代がありました。それから数世紀を経て、東洋から来た女性がまったく同じ様なものを――あの似顔絵は商品的にはもちろん、歴史的にも非常に重要なものです」
「はあ……」
「ぜひ私どもの社とご契約いただき、作品をお描きいただきたい。もちろんは契約金はそちらの言い値で結構です」
「……」
　あまりに突然の話で言葉のでないねじ子を後目に、ぷぢ子が意気揚々と交渉を始めた。
「よう、ベルトランさんとか言ったなあ、確かにあんたのセンスは一流だ。この女の絵は毎年の夏と冬、新作が飛ぶように売れて行くんだぜ？そんな大物と契約って話になると、ちょっとやそっとの額じゃキかないってのはお前さんにだって見当つくだろう。まぁオレ様を通じて話を持ってくれば、バックマージン次第で考えてやらないこともないがな、ガーハハハッ！」
　得意げなぷぢ子とは対照的に、ねじ子は浮かない顔だ。
「やりすぎだよ」
「いいっていいって。どうせ本当のことなんかわかりゃしないんだから」
「売れ残ったらどうしよう」
「営業と販売はみんな向こうがやるんだよ。万一余ったらリトグラフにして、秋葉で個展やりゃあいいのさ。オタクがバンバン引っかかるぞ〜」
「イルカの絵でも練習しようかな」
　見当違いの心配を鎮める様に、ベルトランが二人に小切手を渡した。
「とりあえず向こう一年の基本契約と画集一冊分として、提示させていただきます」
「ひぃふぃみぃ……イリア、これの単位はなんだい？」
「ユーロよ」
「一ユーロが今だいたい百二十円だから…………な、なんだ、け、結構な額じゃないか。わ、わはははは、よかったなねじ子君。わはははは。では、よしなに」
　ぷぢ子が固まったのも当然。
「正直、あの落書きにつく値段とも思えないなあ……イリアさん、ちょっと」
「何？」
「あの男の人、信じていいんですか？」
「大丈夫よ。ベルトラン商会は業界でもトップクラスだし、うちとも取引があるわ」
「そうですか、それならいいんですが……」
　まだ理解できないといった風に、腕を組むねじ子。
　思案するうちに、壁の油絵が目に入った。
　――そうか、そうすればいいんだ。
「イリアさん、王子。考えたんですけど、私の絵にこれだけの価値が見込めるならば、まず契約金でこのお城を直して、部屋の一部を常設の展示室にしたらいいんじゃないかって。画集をそこでも売って、一部を維持費に回してもらえば少しは足しになるかも」
「それで、あなたはいいの？」
　イリアが尋ねた。
「まだ実感が湧かないせいもあるし、正直棚ぼたみたいなものだし。でも困ってる人が助かるなら、それでいいんじゃないかって。そう、思ってます」
　やや、あって。
　アンリが椅子から立ち上がり、ゆっくりと頭を下げた。
「ありがとうございます。感謝の言葉もありません」
　隣でマティアスも、そしてイリアも深々とお辞儀をする。
「素晴らしいアイディアですな。私も賛成です。これを機に、この国の芸術を広めていく事も考えたい」
　ベルトランの尻馬に、ぷぢ子が乗った。
「じゃあさ、イベントやろうぜイベント！やっぱめでたいことがあったら記念にイベントだよな〜。城の改修が終わったらここの宣伝も兼ねて、即売会メインだけどコスプレもありありで。豪さんの会社にも協力してもらって、日本のオタク文化を展示して。もちろん目玉はねじ子のサイン会と、オレ様のアニソンライブだよ！まあざっと前売りで五〇万人は固いかな！ガーハハッハハ！」
　うかつにもぷぢ子は、（株）アキヅキの力を忘れていた。