クリス様も見ている

――金曜日、夕方。横浜、石川町。私立聖アザレア学園正門。
クリス「ごきげんよう、みなさん」
女生徒たち「ごきげんよう、クリスさま」
――迎えの車に乗り込み、手を降り続けるクリス。学校が遠ざかるのを見計らうと、
クリス「ねえ、直樹さん」
運転手「わかっております。こちらがゆうべの品でございます」
――運転手、ディスクを手渡す
クリス「ありがとう」
――クリス、サブバッグからＤＶＤプレイヤーを取り出し、ディスクをセットする
運転手「失礼ですがお嬢様、こういうものはお家でご覧になるものでございましょう。もう少しお行儀よくなされた方が」
クリス「……」
――画面に夢中。無意識に胡座をかいている
運転手「いやはや、先代がご存命なら、なんとおっしゃられるか」
クリス「直樹さん！」
運転手「は、はいっ」
――急ブレーキ。
運転手「なんでございますか、お嬢様」
クリス「お兄ちゃんのお家に行ってちょうだい」
運転手「豪太郎様のマンション？これから、でございますか？」
クリス「そうよ」
運転手「お言葉を返すようですが、もう時間も遅いですし、それに……」
クリス「それに？」
運転手「奥様にも失礼でございましょう」
クリス「だーいじょうぶ！ねじ子さんには『いつでも遊びに来てね』って言われてるもん」
運転手「それは言葉のあやという奴では……」
クリス「（幼稚園児が砂場で遊んでる時の様に歌う）
♪あぁ〜生徒会長ってお仕事は、とってもストレスが貯まるのよね〜たまにはわがまま聞いてもらえないと、生理が遅れてたいへんだ〜アニメを見てる時だけが〜私が私でいられる瞬間（とき）〜」
運転手「そんな下品な歌、どこで覚えたのですか」
クリス「ねじ子さんの勤めてるアニメショップ。店長さんがいつもこんな歌歌ってるの。」
運転手「豪太郎坊ちゃまも、大丈夫かな……わかりました、ちょっとお邪魔するだけですよ」
クリス「わーい！直樹さん、大好き！」
運転手「ああ、先にお電話なさってください。せめてものエチケットですよ」
――横浜、関内。真新しいデザイナーズマンションの最上階にある、ねじ子と豪太郎の新居。広い広いリビングの真ん中に置かれた、小さなこたつでくつろぎながら
ねじ子「うっひゃっひゃひゃ！やっぱり主婦になってもごろ寝はやめられないなあ。それも平日の夕方。これ以上の幸せって、この世にあるのかしら？」
――携帯電話、鳴る。
ねじ子「ムーンプリズムパワー・メイクアーップ！……って、どこだ、携帯？ああ、あった」
――ドアノブに引っかけたコートのポケットから、携帯を取り出す。
ねじ子「はい、秋月です。あら、クリスちゃん？」
――車中から
クリス「こんばんわ。お久しぶりです、ねじ子さん。今からお邪魔したいんですけど、よろしいですか？」
ねじ子「え？ま、まあいいわよ。今どの辺なの？」
クリス「学校を出たところです。もうすぐ着きますので、それじゃ」
――電話切れる。
ねじ子「ったく、これからお夕飯作ろうと思っていたのに！仕方ないなあ」
――冷蔵庫を開けるが、ダイエットコークしか入っていない。
ねじ子「おっとっと、急ぎの時だから冷凍食品でやってみようか」
――冷凍庫を開けるが、食べ残しが少しあるだけ。
ねじ子「ご、豪さんの朝食専用冷蔵庫があったわね」
――大量の野菜と果物と乳製品があるだけ。
ねじ子「こんなんで夕飯が作れるかーっ！……こんな時に限って来るんだから、あの子、あんまり好きになれないのよね」
――携帯を取り出す。
ねじ子「秋月です。急ぎですみませんけど、いつものやつ三人前お願いします。じゃ。さてと、模様替えだわ」
――携帯のメニューから「エマージェンシーレベル２」の項目を選んで、暗証番号を入力。リビングとキッチンの境目に、左右からパネルがゆっくりとスライドして壁になる。
ねじ子「これで、よし。まったく主婦もラクじゃないわねえ」
――来客用の部屋で。
クリス「はい、ねじ子さん。おみやげです」
ねじ子「あらあら、十番館の苺ショートだなんて気が利くわね。で、お話って何かしら」
クリス「これなんですよ」
ねじ子「ＤＶＤ？自分で焼いたやつ？」
クリス「夜遅くやってるアニメの録画なんですけど」
――クリス、プレイヤーを取り出して再生。
ねじ子「『ハイスクール・スラッシャーズ』？……ああ、あの学園仕事人アニメね。うちのお店でもＣＤとかグッズとか、けっこう売れ行きいいのよね」
クリス「ゆうべが最終回だったんですよ」
ねじ子「ほう」
クリス「すっごくすっごく、楽しみにしていたんです。でも、見てくださいよこれ」
ねじ子「……なんじゃこりゃ。オープニングとえらく画質が違うような……」
クリス「違いすぎです。ストーリーも予告と違うんです。みんなで黒幕の校長を倒すはずだったのに、こうやって最初からずーっと回想シーンが続くんです。ひどいと思いません？」
ねじ子「やらかしたわね」
クリス「はい？」
ねじ子「理由はわからないけど、放送日までに、制作が間に合わなかったのよ。だから、適当にそれまでの話を混ぜて、なんとか作ったって、そんな感じね」
クリス「そんなあ」
ねじ子「でもこういうのはよくある事よ。ビデオになった時に絵を手直しすることもあるし」
クリス「ストーリーもですか？」
ねじ子「それはどうかなあ。話を変えるとアフレコもやり直さなきゃいけないから、たぶんやらないかと思う」
クリス「ええーっ！じゃあこんなしょぼいお話のまま、スラッシャーズ終わっちゃうんですかーっ？」
ねじ子「人気があるから、ファンの声がまとまれば続きが作られるかもしれないけど」
クリス「うわーん、そんなのってないよーっ！納得できなーい！」
ねじ子「気持ちはわかるけど、こればっかりはねえ」
――玄関、チャイムが鳴る。
ねじ子「はーい」
インターホンの声「どうも〜。イタリアンレストラン『アディオ・ダンツァ』です。ご注文の品、お届けに参りました」
ねじ子「あー、ありがとうございます。クリスちゃん、お夕飯よ。あったかいパスタでも食べて、落ち着きましょ」
クリス「ぐすっ、ぐすっ」
――玄関を開けるねじ子。
ねじ子「いつもすみません……って、おわーっ！」
――ワゴンを運んできたギャリソンを見て叫ぶ。
ぷぢ子「ふふふ。奥さん、旦那さんがいないといつもこんな恥ずかしいことしてるんですか？」
ねじ子「なんであんた、ここにいるのよ」
――部屋に上がるぷぢ子
ぷぢ子「オレの第七感（セブン・センシズ）、『納得いかないセンサー』が反応したんだよ。どうせクリスがまた愚痴をこぼしに来てるんだろう？」
ねじ子「よくわかったわね」
ぷぢ子「アキバで商売を長くやってりゃあ、こんな力は自然と身につくものさ」
ねじ子「まあ、あそこは強者たちが集うからねえ」
ぷぢ子「で、そっちのお嬢さんには残念な話だけど、スラッシャーズの続編はないぜ」
クリス「なんでそんなこと、わかるんですか！」
ぷぢ子「おうおう、その顔を真っ赤にするところ、たまらないねえ。本物の厨房はやっぱりこうでなくっちゃ」
ねじ子「そのオヤジ路線やめなよ」
ぷぢ子「今朝、店にＦＡＸが来た。スポンサーが潰れたそうだ。テレビ版のビデオ化も、権利を買い取る先が決まるまで白紙になったってさ」
ねじ子「あらら」
クリス「うううっ……私が何を悪いことしたって言うのよ。楽しみにしていたアニメの最終回ぐらい、満足に見せてもらったっていいじゃない」
ぷぢ子「ちちちちちっ。最終回まで続いただけでも感謝しなって。おばさんたちみたいにアニオタ長くやってると、打ち切りとか路線変更とか、もう慣れっこになっちゃってさあ」
ねじ子「悪いけど私、あんたほどアニオタじゃないよ。カタギの旦那だって見つけたし」
ぷぢ子「ほう、いつからねじ子様はそんな口を叩けるようになったのかなあ。ではこのディスクをご覧いただこうか」
ねじ子「なんなの、それ……あーっ！やめてやめて！いやーっ、それはやめてーっ！」
ぷぢ子「クリス、そいつ押さえてろ。さてと、ＤＶＤは便利だなあ。いきなりエンディングだって見れちまう」
ねじ子「やめてってばーっ！」
クリス「なんだか、女の人の名前がずっと続いてるけど、スタッフの人たちなんですか？」
ぷぢ子「そして三分二十五秒目のカット、ここだ」
――一時停止
クリス「諏訪内ねじ子……これ、ねじ子さんが結婚する前の名前？」
ぷぢ子「そうだよクリス。このお姉ちゃんは高校時代、大好きだったテレビアニメが打ち切られたのがくやしくてくやしくてたまらなくて、署名活動を始めてしまったんだよ〜。で、完成したのがこの劇場版アニメ。おかげで二十一世紀の今も、スペシャルサンクスとして名前が晒される羽目になったってわけさ」
クリス「ほんとうなんですか？」
ねじ子「マジ。自分で言うのもなんだけど、あん時は狂ってた。家族やクラスメイトだけじゃ足りない気がして、アニメショップや街頭でやってた覚えも……」
クリス「えーっ、それはちょっと」
ぷぢ子「な。だからおばさんたち、クリスの気持ちはよくわかるけど、素直に応援できないんだ」
クリス「うー、ますます納得できない！明日から私、何を楽しみに生きていけばいいのよ！」
ねじ子「そんな、大げさなあ」
クリス「こうなったら引きこもってやる！ファンを集めて抗議のホームページを作ってやる！同盟バナーも作ろう！」
ねじ子「やめなよ、みっともないからさぁ」
ぷぢ子「そうだぞ、ホームページは誰が見てるかわからないから、日記や掲示板でヒステリックな書き込みしたら、永久に保存されちゃうぞ」
クリス「おばさんたちは黙ってて！私、もう決めたんだから」
ねじ子「うわー、妹がどんどん厨くさくなっていく。今はリアル中坊だからいいけど、このまま三十過ぎても変わらなかったらどうしよう！しかも未婚のまま」
ぷぢ子「この女、自分がセーフになった途端に言う言う。仕方ない、あれやりなよ」
ねじ子「そうね、久しぶりに。今回は二人でやってみようか」
ぷぢ子「お、いいねえ」
――ねじ子、携帯のメニューから「エマージェンシーレベル１」の項目を選ぶ。リビングとの仕切りパネルが一斉に裏返り、全身鏡が現れる。ポケットからカードを取り出して
ねじ子・ぷぢ子
「ファイナルベント！助けて、豪太郎さーん！」
クリス「（小声で）カード・スラッシュ！の方がかっこいいのに」
――玄関が開き、豪太郎現れる。
豪太郎「終わりだ。経営幹部の会議は中止する、早く帰りたいから。いやー、人生これからっていうところだったのに、インペラーは残念だったなあ。やっぱり会社の社長と仮面ライダー、両立は難しいね」
ぷぢ子「ちょっと見ない間に、豪さんもずいぶんオタくさくなったなあ。お前んち、毎晩こんな会話してんのか？」
ねじ子「ま、まあね」
クリス「ねじ子さんのせいで、お兄ちゃんまで不治の特撮オタに……」
豪太郎「おいおい、それはひどいなあ。せっかく、クリスマスプレゼント持ってきたのに」
クリス「こっちはそれどころじゃないわよ」
――書類を取り出す豪太郎。
豪太郎「さっき、契約が成立したんだ。その作品の権利、僕のところで買い取ることになったよ」
クリス「ほんとう？」
豪太郎「ああ。これで続編も作れるようになるぞ。なんだったらクリスのアイディアを言ってごらん。プロデューサーに伝えてあげるから」
クリス「うわー、お兄ちゃん大好き！」
ねじ子「私にもそういうの、やってよ。たくさん候補はあるんだから」
ぷぢ子「やっぱりお金持ちは違うなあ」
クリス「さっそくストーリーを考えなくっちゃ」
謎の声「うっふっふっふ。スラッシャーズのファンがあなただけだと思ったら、大間違いよ！」
クリス「誰？」
豪太郎「この声は、うわっ」
――鏡を割ってイリア、出てくる。
イリア「イライラするのよ、こういう所にいると！」
ぷぢ子「そりゃ、そんな所に隠れていたら」
イリア「やっとの思いで権利を買い取ったというのに、みすみす他のファンのアイディアを使われてなるものですか！」
豪太郎「今回の仕事、やけに熱心だと思ったらそうだったのか」
ねじ子「あーあー、人の家散らかしちゃって。誰が掃除すると思ってるのよ」
ぷぢ子「メイド雇ってたんじゃねえのか？」
ねじ子「辞めさせたのよ。豪さんに色目使うから」
ぷぢ子「思い過ごしだぜ。だいたいメイドに『おいた』なんて、豪さんなら子供ン時とっくに済ませてるだろう」
ねじ子「そうなの？」
豪太郎「ま、まあそれは、昔のことだから、ね」
ねじ子「あやしい！とってもあやしい！せっかくエプロンドレスを着てあげたのに、あんまり燃えてくれなかったのは、そういうことだったのね！納得できなぁーい！」
イリア「私の話を聞いてよ！」
ぷぢ子「ああ、そうだった」
イリア「とにかくあの作品は、私が前々から目を付けていたんです。昨日今日ファンになった人とは違うのよ」
ぷぢ子「この人が厨なこと言うと、シャレにならないよなあ」
クリス「わかりました。イリアさんがそんなに必死ならば、今回は譲ります」
イリア「あら、素直ね」
クリス「アニメの続編の権利は、譲ります」
ねじ子「なにか、すごくいやな予感が」
クリス「私はこれから出版社と契約して、原作の続編をアニメ化する権利を買います」
イリア「その手があったか！」
ぷぢ子「ならオレ、海外版のアニメ化権利。レアバージョンの方が後で価値つきそうだし、フィギュア売れるっぽいし」
ねじ子「じゃあ私、キャラデザの人を買い取る。半年ぐらい掛けて、一人でＣＧ使って外伝を作ってもらおう」
豪太郎「誰が金を出すんだろう」
ねじ子・ぷぢ子・イリア・クリス「あなた」
豪太郎「ううっ。そ、そんなに別バージョンばっかり作ったら、共倒れしちゃうよ？差別化を図らないと」
ねじ子「じゃあ特典映像で、声優インタビュー。もちろん男声優ばっかり集めて。できれば半裸で」
ぷぢ子「バッカでーっ！でもその企画が通るんだったら、男子更衣室のセットを組んで、ガクランや体操着に着替えながら座談会やってほしいな。健康的なお色気って感じで」
ねじ子「バッカでーっ！」
――その頃、雪深い軽井沢。とある別荘、暖炉の燃えるリビングでビデオに見入る女性。ややあって
マーサ「これが最終回？いい出来ではないわね。このところ質が落ちていくばかりじゃない、日本のテレビアニメは」
美麗「申し訳ないあるね。しかし、今のような大量生産を続けていては」
マーサ「ＤＶＤにする時には、やりなおしてちょうだい。納期も遅らせてはだめよ」
美麗「かしこまりましたね……って、奥様。これでいいあるか？」
マーサ「上出来！ああ、あなたもようやくアニメのセリフで会話ができるようになったわね」
美麗「いろんな所で働いてきたけど、こんなノルマのある職場、初めてね」
マーサ「さあ、電話しなくっちゃ。もしもし、社長を呼んでちょうだい……ちょっとぉ、なによあの最終回。あんなの作ってるから会社も左前になっちゃうのよ。なに、買い取られた？アキヅキに？あら、まあ。まったくあんたって人は、コミケで赤字出して周りに泣きついてた頃から、ぜんぜん進歩してないんだから。いい、今度やったら会社乗り込むわよ。じゃ」
美麗「豪太郎坊ちゃまが買い取ったあるか」
マーサ「きっと、ねじ子さんの入れ知恵ね。ふふ、やるじゃないあの娘ったら。でも、納得いかないストーリーだったら、ただじゃおかないわよ」
美麗「血は争えないあるーっ！」

＝終＝
（２００字詰め４１枚）

【配役】

秋月ねじ子……三石琴乃
秋月豪太郎……置鮎龍太郎
浅茅不二子（ぷぢ子）……林原めぐみ
秋月クリス……川村万梨阿
イリア・ビットマン……榊原良子

美麗（メイリィ）……冬馬由美
運転手（直樹さん）……肝付兼太

マーサ……池田昌子