とまらない想い

東京・有明　第６３回コミックマーケット　西館】
　あの夏の日から四ヶ月あまり。
　また、ビッグサイトに祭がやってきた。
「よーし、大きなお友達のみんな、これからジオテックのトークショーを始めるぞーっ！」
　ダイナマイト電器の企業ステージで、マイクを握るのはぷぢ子。
　客は通路ぎりぎりの所まで詰まっている。
　最前列には、タキシード姿の男。
　バラの花束を抱えてひとりご満悦なのは、草薙室長である。
「さすがはエビちゃん、トークショーひとつでここまで人を集めるとは……この草薙が見込んだ女だけの事はある。ま、そんな晴れの舞台でさりげなく花束を渡すこのオレも、彼女にふさわしい男と言えるけどな」
　いっぽう舞台裏では、真理子が真っ青な顔をして震えていた。
「大丈夫ですよ。初めてのゲームショーは、こんなもんじゃなかったでしょ？」
　応援に来たねじ子がなぐさめるが、
「みんな他人事だと思って！おたく相手の商売なんて、もういやーっ」
　パニック寸前である。
　そんな彼女の心も知らず、
「マ・リ・コ！マ・リ・コ！」
ホールを揺るがさんばかりのコールが響く。
「あぁもうだめ！私、失禁してもいい？」
　緊張の頂点に達したのか、あらぬ言葉を口走り始めた時、真理子の携帯にメールが届いた。
　とにかくこの場から逃げたい一心で、彼女が端末を開くと。

　イベントがうまくいったら、次のコンサート、楽屋に連れて行ってあげますよ
　ｂｙ豪太郎

　読むなり、真理子の目が光った。
　携帯をポケットにしまうと、力強い足取りで舞台へと進んでいく。
　フリルのワンピースに歓声が上がる中、ぷぢ子からマイクをむしるように奪った。
「みなさん、元気ですかーっ！」
　普段とのギャップに周りの誰もがあっけに取られる中、真理子の演説が始まった。

　元気があれば、なんでもできる！
　元気があれば、赤字も消える！
　人はその歩みを止めた時に、そして、楽しむ心を忘れた時に、年老いていくのだと思います。
　このゲームを遊べばどうなるものか、危ぶむなかれ。
　危ぶめば道はなし。
　遊べば、その一本が道となり、遊べば、その一本が道となる。
　迷わず遊べよ、遊べばわかるさ！

　新作のタイトル発表というよりは、「年忘れ・海老沢真理子オンステージ」といったおもむき。
　舞台は大いに盛り上がり、彼女の処女プロデュース作――「マジカル少女戦記・レディナイトサーガ」――の主題歌、「とまらない想い」の大合唱で幕を閉じた。
「ご苦労様でした」
　終演を見計らって、豪太郎がやってきた。
「こちらこそ、ありがとうございました」
　全てを燃やし尽くした顔で、真理子が答える。
　左脇の花束は、熱唱のあまりぐしゃぐしゃだ。
「いよっ、旦那。やることがいちいち憎いね！」
　司会の任を終え、リラックスムードのぷぢ子が冷やかした。
「どういたしまして。ところでねじ子さん、『例のお客さん』は来た？」
「うん、来た来た。本格的なコスプレなんかして、ヘンなおじさん達だったなあ」
　ねじ子が、手のひらサイズのビデオカメラを豪太郎に手渡した。
「隠し撮り、うまくできてる？」
「ああ、確かにこの人たちだ。ありがとう」
「なんだい、そのお客って」
　ぷぢ子が尋ねる。
「取引先の社長さ。一度コミケを見たいっていうから、ねじ子さんのサークルにも寄るよう言っておいたんだ」
「でもペーパー片手に来られるなんて思わなかったなあ。豪さん、ちゃんと封して渡してくれたの？」
「ああ、きちんと仕舞ってから渡したよ」
「ならいいけど……『新刊、全部ください！』っておじさんに絶叫されて、すごく恥ずかしかったよ。いちおうウチ、女性向けなんだし」
「ふーん。世間には物好きな奴が、まだまだいるんだね」
「物好きとは何よ」
　ねじ子とぷぢ子のいつものやりとりを聞きながら、豪太郎は一人、笑いが止まらなかった。
「本当に来たんだ……こんなコスプレまでして」

　西館屋上――通称「コスプレ広場」の片隅で、初老の男性が二人、口論を始めていた。
「社長、もうこの衣装、脱いでもいいでしょうか？恥ずかしいですよ」
「駄目だ。周りを見て見ろ、普段着に戻ったら余計目立ってしまうではないか」
　ダメ出しをしているのは、ヤン社長。
　彼の隣で訴えているのは、元ジオテック役員、現ヤンの秘書である比須田。
　軍服にマント姿のコスプレ上司が、同じく軍服コスプレの部下に怒鳴る風景は、傍目には本物の上官と下士官にも見えて。
「じゃあ顔ぐらい洗わせてください。だいたい、なんでわざわざ青く塗らなきゃいけないんですか」
「元々の設定が、そういう格好だからだよ」
「設定ってなんですか」
「アニメの設定だよ」
「……社長、いい加減気づいてください。私たちアキヅキの奴らに騙されているんですよ」
「何を言うか。彼らの戦略は着々と進行しているんだぞ」
「『おたく路線』は、秋月社長自らが否定していたじゃないですか」
「また君は私に馬鹿と言わせたいのか。我が社が何度相手の裏をかいてきたか、忘れたのかね？」
「提携すると見せかけて技術だけ教えてもらったらわざとポシャらせたり、自分の所だけに有利な規格を無理押ししてシェアを独占したり、保証期間が切れた頃に故障するような設計をしたり、そう言えばいろいろやりましたね」
「最後のはわざとじゃないだろう。とにかく、奴らのおたく路線からは目を離すわけにはいかんのだよ」
「はあ……しかし、これが本当にアキヅキの秘密なんでしょうか」
　比須田が取り出したものは、ねじ子の新刊。
　ヤンが諭すように言う。
「ああ、これは漫画に名を借りた、プロジェクト指示書だよ。秋月社長のアタッシュケースにあった書類を私が解読した結果、今日この場所で密かに配られる事がわかったのだ。おそらく賛同する企業に向けて、極秘の指令が書かれているに違いない」
「そうですか？密かにしては、人が多すぎる気が」
「木の葉を隠すには森に、と言うではないか」
「しかし私には何度見ても、その……男同士の恋愛というか、ホモセクシュアルを描いたマンガにしか見えませんが」
「わからん奴だな。いいか、これから説明してやる。主人公の新入りサラリーマンが、アキヅキ。コンビを組む体育会系の男性先輩社員、これは傘下のグループ企業だ」
「擬人化ですか」
「カモフラージュの一種だな」
「最初は、反目し合っていますね」
「足並みは揃わなくても、共に歩んでいこうという思いを表しておるのだ」
「６ページ目では、深夜の会議室で二人きりになっていますね」
「寝食を忘れる程に働けということだろう」
「じゃあ８ページ目の『いや、会長の銅像が見ている』は？」
「先代の名を汚さないよう、立派に仕事を成し遂げろということだ」
「１０ページ目です。
『僕は汚れているんです。先輩に抱いてもらう資格なんて……』
『気にするな。そんなものオレがキレイにしてやる』
これは？」
「キレイにしてやる…キレイに…キレイに…わかった、これはマネーロンダリングだ！」
「な、なんですって！」
「海外から集めた裏金をグループ企業でいったん浄化したあと、アキヅキに移すつもりか！奴ら、勝負に出たな。こうしちゃおれん」
「社長、どこに行かれるんですか」
「本社だよ。幹部を全員召集したまえ」
「会社は休みですよ」
「来れる奴だけでいい。相手の先の先を読むのが、私流のやり方だ」
「わかりました」
　かくしてその日のうちに緊急幹部会議が開かれ――気に入ったのか、ヤンは終始軍服を脱がなかった――、それまで順調だったヤン社の業績と株価は、年明けと共に坂道を転がり始めたのだった。