とまらない想い

【東京・品川　ヤン・グランドカンパニー本社】
　白檀の香りが漂う、エスニックな室内。
　社長専用のリラクゼーションルームに、ヤンがいた。
「むぅ」
　本場台湾から呼び寄せたエステティシャンのマッサージに顔をしかめつつ、部下からの報告書を見る。
「……」
　母国を振り出しに世界中にネットワーク事業を展開し、もれなく成功を収めてきたヤンにとって、いまや明日の天気すら操れるとも不可能ではないと思われていた。
　そのヤンの行く先々に決まって現れるのが、アキヅキだった。
　技術でもサービスでも、劣っているとは思えない。
　むしろそこにヤンの政治力をプラスすれば、圧倒的な勝利が約束される。
　はず、なのだが。
　どうしても、どんな手を使っても――実際、あくどい罠も何度となく仕掛けた――アキヅキを引き離すことはできなかった。
　各国の市場でシェアＮｏ．１を手に入れながら、彼が心から喜べないのはそのせいだった。
　最後に残った市場、日本で同じ轍を踏む事はヤンのプライドが許さなかった。
　新たな戦略としてゲーム市場にも手を広げ、手始めに老舗のゲーム会社ジオテックをダウン寸前まで叩きのめしたところに現れたのが、よりによってあのアキヅキだった。
　その後のジオ復活劇は――実に悔しい事だが―誰もが知るところだ。
　何が悪いのか――側近をイエスマンで固めた今、彼がそれを知る事は不可能に近い。
　それでも答えを求めて、ヤンはインターホンに話しかけた。
「――ああ、私だ。『彼女』を寄越してくれ」

【ジオテック本社十二階　大会議室】
　さいわい、真理子の心配は杞憂に終わった。
　豪太郎を初めとするアキヅキの幹部陣や入江社長の見守る中、真理子のプレゼンテーションはなんとか及第点をもらうことができた。
「海老沢さん、ご苦労様でした。ただこの際だから言っておきますが、細かい部分についてはまだまだですね。これからいろいろと別途で詰めますから、その際はまたよろしく」
　豪太郎の穏やかだが厳しい一言も、ゴーサインが出た今なら頭に入りそうだ。
　ほっとした表情で、真理子が席に戻る。
「で、さっそくプロモーションの話だ」
　入江が声を掛けた。
「急な話で済まないが、発表会を組むことになったんだ。タイトルと概要だけでも、インパクトはあるからね」
　――はいはい、なんでもやりまっせー！
　肩の荷が下りたあまり、そんな言葉が喉まで出かかった。
　おそるべしプレゼンハイ。
「今からですと、春のゲームショーか何かですか？」
「いや、月末なんだ」
「月末？」
　いやな予感が、真理子の頭をよぎった。
「それは、ひょっとして……有明ですか？」
「なんだ、知ってるのか」
　ふと豪太郎とイリアを見ると、含み笑いを始めていた。
「お、親会社の陰謀だわーっ！」
　たまらず真理子が叫ぶと、
「違う違う、要望が多かったんだよ」
あわてて入江がフォローを入れた。
「要望」
「そう。なぜか最近、君のトークショーを開いて欲しいってメールが、うちのホームページにたくさん寄せられてね。あいにく企業スペースは押さえられなかったが、ちょっとした話ぐらいだったらって、他社さんに場を譲ってもらえたんだ。どうだろう、やってもらえないかな」
「……」
　しばらく沈黙が続いた後、真理子はあきらめ顔で尋ねた。
「コスプレとか、しなくていいですよね？」

【大阪・北浜　ミカドエンターテイメント開発室】
「よっしゃーっ！」
　あたりをはばからず、室長の草薙が叫んだ。
　何事かと集まってくる部下たちを見て、
「あ、驚かせてすまんかった。なんでもないんや」
彼はあわててガッツポーズを解いた。
　騒ぎの元凶は、ジオテックのホームページ。
緊急告知！海老沢本部長トークイベントｉｎコミックマーケット６５

　トップページに貼られたバナーを見て、草薙は興奮を隠せなかった。

　みなさまのご要望にお答えして、急遽決定いたしました！
　コミケにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください！
　なおインターネットによるオンデマンド放送もありますので、そちらもご期待ください

「思う一念岩をも通す……オレの熱い思いに、ジオも重い腰上げよったな」
　そう言いながら、机に置かれた一冊のぶあついファイルをこっそりと開く。
　ゲーム誌、経済誌、女性誌…あらゆるジャンルの雑誌から、真理子に関する記事を切り抜いたスクラップだ。
　引き出しにあふれるほど焼かれたＤＶＤには、テレビのインタビュームービーやインターネットに上げられた画像が仕舞ってある。
　最近のお気に入りは、画像掲示板で見つけた写真だ。
　どこかの展示会――おそらく、ゲームショーだろう――で、バニーガール姿の女性が顔を真っ赤にして立っている。
　ややピントが甘いものの、写っているのはまぎれもなく入社当時の真理子だった。
「あのエビちゃんに、こんなはしたない格好をさせるとは。ますます辛抱たまら……おっと、ますます許せんな、ジオテックという会社は！あんなどこの馬の骨とも知れんキザったらしい奴やのうて、このオレ様が乗っ取っていたら今頃は」
　今日も彼の「脳内改革」は、とどまるところを知らなかった。