コンビネーション・サマー〜１９９５バーチャの夏

　――こんなに、ストライド大きかったか彼女？
　カットジーンズの整ったバックラインを見ながら、ともすると遅れそうになる自分が、やけにのろまに思えた。
　女子の誘いに素直についていく自分が、本能に忠実で若干情けなかったが(それも相手はあの相沢美保だ)、目の前の彼女のルックスが、そんな思いを打ち消してくれた。
　――それに、「変身」のわけも聞きたいし。
　ゲーセンまでの道すがら、薫は１学期の彼女の印象を、必死に探りだしていた。
　太い足、図書委員、単語帳、かすかな体臭、やや脂っぽい顔。
　どれもこれも「優等生」あるいは「どんくささ」といった言葉を、連想させずにはいられないパラメータだ。
　やはり、それらと今の彼女とは、相容れない様に思える。
　――何が……。
「さ、ついたよーん」
　何のことはない、昼休みに薫がいた場所だった。
　自分達と同じく、暇を潰しに来た学生で店はいっぱいだった。
　美保は躊躇なく、一番奥にある５０インチ筐体――スーパーメガロ２を目指して進んだ。
　露出の多い彼女の服装は、少なからず客の――あるいは店員の興味を引いた。
　薫はなぜか我が事の様に恥ずかしかった。
「やろ、これ」
「バーチャを？」
「他になにすんの？あ、脱ぎ麻雀でもやるつもりだったんでしょ」
「馬鹿言うな」
「隣、座っていいよ」
　促されて薫は２Ｐ側に座った。
　美保の白い腕が、妙に目に入る。
　コインを出そうとして、既にクレジットが入っていることに、薫は気がついた。
「一応、ほら、誘った側だし。１試合目は出しとくよ」
　――１試合目？
　その言葉の本当の意味を、薫はまだわからなかった。
　スタートボタンが押された。
　薫はジャッキー、美保はパイをチョイスした。
「へへっ、スラント野郎。なんてね」
　――どうする？
　薫は自問した。
　もし彼女の勢いがブラフではなく、真の実力と自信から来るものであれば、パイ・チェンのスピードと投げ技は、ジャッキーにとって最大の脅威となる。
　だいたい、美保はどうやってこの店を知ったのだろう？
　リニューアルされたとはいえ、彼女のようなタイプがためらいなくゲーセンに通うとは思えない。
　それに、対戦ゲームの中から薫がやっているバーチャを選んだのも、単なる偶然とは片付けにくかった。
　雑念が、浮かんでは消えた。
「READY GO!」
　ふいをつかれた形で、試合が始まった。
　その声から一瞬遅れて、薫はガードボタンを押す。
　むやみに手出しをしてカウンターを食らうよりは、
　――投げの方がダメージが少ない。
　その読みは正しかった。
　途中までは。
　直後、クイックフォワードで近づいたパイが、自ら倒れこむようにしてジャッキーを巻き込んで行く。
　――！
　薫は自分の目が信じられなかった。
　ジャッキーが凄い勢いで地面に叩きつけられ、パイがゆっくりと起き上がる。
　掣燕掛塔。
　投げ技の中でも、一番の癖技を、相手は仕掛けてきた。
　技そのもののダメージは少ないが、受けた側はよろめいてしまい、その後ははっきり言って「やられたい放題」な状況になるのだった。
　それだけに相手の虚をついた攻撃であり、実戦で出すには相当の訓練とカンを必要とした。
　その技を、まさかと思っていた技を、相沢美保は苦もなく決めたのだった。
　――何故っ！
　薫の後悔と焦燥をあざ笑うかのように、パイ・チェンの右手が繰り出された。
　続いて左、右とコンビネーションが続き、３発目を受けてジャッキーがのけぞったところに、ソニックブームの音と共にパイ渾身の連環転身脚――回し蹴りがヒットした。
　――終わった。
　その通りだった。
　ほとんどが赤くなったダメージメーターを見るまでもなく、勝負はパイ――美保の側にあった。
　一瞬の隙を突かれて、あっというまに連続技を決められてしまった。
「なんだ、弱いんじゃん」
　その言葉で、薫は我に返った。
「ちょ、ちょっと様子見してたんだよ」
「そう？」
　画面では勝利を得たパイが、高らかに笑っていた。
　２本目が始まったが、一度傾きかけた流れは容易には変えられなかった。
　何度も経験したことなのに、今この試合のそれが、実に堪え難い屈辱の様に思えた。
　ミドルキックが高蹴腿で潰され、サイドフックキックがバックステップでかわされ、フェイントを交ぜたエルボースピンキックも見事に読まれ、最後は天地当落でリング外に投げ出された。
　薫は、顔が真っ白になっていくのが自分でもわかった。
「わっはっはっは」
　画面に合わせて、美保が高らかに笑う。
　いつの間にか、背後にはギャラリーが集まってきた。
　薫は財布からありったけの１００円玉を取り出すと、台の上に積み上げた。
「いいよな」
「どうぞ」
　その後どう闘ったかを、薫はよく覚えていない。
　ただ倒される度に周囲の人数は増え、どよめきと歓声が大きくなっていったのは確かだった。
　その中の一人として嘲笑する者がいなかったのが、試合内容の高さを物語っていた。
　薫が最後のコインを投じたジャッキーが敗れた時、夕日が店内に差し込み始めていた。
　実に２４連敗。
「あー、疲れたーぁ」
　そう叫ぶと美保は、筐体の上に突っ伏した。
　その声を聴きながら、薫は天を仰いだ。
　体中から力が抜けていくのを感じていた。
　気のせいか、遠くで蝉の鳴き声がした。
　それから、薫の脳裏から、あの悪夢のような光景――ぶざまな負け試合の様子が消え去ることはなく、むしろ日々刻々と鮮明になっていくような気さえした。
　叩きこまれた技の一つ一つが、薫の神経を逆撫でする。
　それを振り払うかのように、彼はバーチャファイターに打ち込んでいった。
　敗戦のショックで一時的なスランプに陥ったものの、持ち前の研究心と素質が、彼を再び常勝プレーヤーへと引き上げた。
　いつしか、抱いていたかすかな虚脱感は消え去っていた。
　だが、相沢美保は。
　あの日以来、薫の前に姿をあらわさなかった。
　あらためて調べたが彼女は薫の塾では授業を受けておらず、またゲーセンの常連や店員に聞いても、彼女を見た者はいなかった。
　家に電話してみるという手もあったが、話のきっかけが思いつかないまま、夏休みは過ぎていった。
　８月最後の日がやって来た。
　幸いにして夏休みの課題も終えた薫は、暇潰しにいつものゲーセンに行ってみることにした。
　結局、相沢美保にはあれから会えなかった。
　明日になれば、学校に行けば会えるのだろうが、そこにいる彼女が、あの日のように屈託のない笑顔を浮かべているかどうか、薫には確信が持てなかった。
　なんだかまた、教室の片隅に溶けこんでしまうような彼女に戻っているような気がした。
　店の中は、いつもと同じだった。
　フル回転するエアコン、誰かが飲み残したコーク、ベークライトのほのかに暖まった匂い。
　たぶん明日も、たぶんここにはこれと同じ風景が広がるのだろう。
　だけどなぜか薫には、今日と明日との区切りが今までの夏休みの終りより、重みを持ったものに感じられた。
　缶コーヒーを飲みおわった薫が、対戦台に足を向けた時だった。
「香坂君」
　やわらかい、メゾソプラノが薫を呼んだ。
　相沢美保だった。