コンビネーション・サマー〜１９９５バーチャの夏
第３章
「あ」
「久しぶりだね」
「どうも」
相沢美保は、あの日とほとんど変わらない格好をしていた。
「でもね、ちょっと髪マニキュア入れてるんだよ」
「どうして」
「明日から学校でしょ。前のままだとブリーチ、わかっちゃうから」
薫には全然違いが見出せなかった。
「さて、夏休みの宿題は終わったかね」
美保が少しおどけて切り出した。
「何とか」
「よろしい。でわ、今からテストを行う」
今度は腕を引っ張られた。
スーパーメガロ２の前に、再び二人はやって来た。
「テストって、これかい」
「そう」
「また、２４連敗させるつもりかい」
薫は笑いながら言ったが、美保はつられなかった。
「今日は１回勝負よ」
「ＯＫ」
思えば薫は美保に聞きたいことが山ほどあったが、コインがシュートに落ちると不思議にそんなことは考えられなかった。
あの日と同じ様に、薫のジャッキーと美保のパイがリングの上に立つ。
「READY GO!」
仕掛けたのはジャッキーからだった。
スピニングスラントバックナックル――上下に揺さぶる、ジャッキー独特の打撃技だ。
それがバックステップしたパイの左脚に引っ掛かった。
たまらず、空中に浮かび上がるパイ・チェン。
そこへすかさず、追い打ちのダッシュハンマーキック。
着地したところへ、ダウン攻撃。
――これは。
いけるかもしれない、と思って薫はすぐ打ち消した。
勝利がそんな容易いものではないと教えられたのは、他でもない彼女――相沢美保からだった。
その予感は当たった。
激しいボタンの連打により起き上がったパイは、猛然とダッシュを始めた。
この場合、投げ技を警戒して自分は下がるか、あるいは何かリーチの長い技を出して先を制するのがセオリーだった。
ましてや、相手は美保の操るパイである。
投げには嫌というほど痛い目に会わされていた。
薫のジャッキーは、ここでサイドフックキックを選んだ。
投げに来た場合、まず１００％この技が相手を叩き潰す。
が。
やはり、相手は相沢美保であった。
キックのリーチ寸前で、彼女のパイは歩を止めた。
ジャッキーは当然空振りである。
脚が戻るのと同時にパイが音もなく近づき、投げ技の一つ、倒身陰掌が決まった。
倒れこんだジャッキーに、さらに正拳突きが１発、２発。
３発目を食らう寸前で、かろうじてジャッキーは横転で逃れた。
予感は、死闘の始まりでもあった。
フェイントから打撃技を繰り出すジャッキー＝薫に対し、クイックステップの揺さぶりから投げを狙うパイ＝美保。
以前とは比べ物にならないほど、拮抗したゲームが繰り広げられる。
果たして１本目は、辛うじて美保が取った。
しかし薫も練習の成果は著しく、あと一歩のところまで美保を追い込んでいた。
少なくとも勢いは、両者とも互角だった。
２本目が始まった。
１本目と同じくバックステップを取るパイに、一瞬早くジャッキーが追い付いた。
鮮やかな投げ技、ニーストライクがパイを捉えた。
加えて、ダウンしたところにサッカーボールキック。
起き上がったパイの動きが、それまでより若干鈍くなったのを、薫は見逃さなかった。
薫＝ジャッキーが初めて投げ技を決めたことにより、美保＝パイの先読みの選択肢が広がった。
その僅かな違い――思考時間の増加が、動きに現れたのだった。
間髪を入れず、ジャッキーが畳み掛ける。
サイドフックキックから一瞬しゃがんでミドルキック、ダッシュ後間を置いてからの殴打、ビートナックル。
それまでの優勢さが嘘のように、パイは追い詰められて行った。
ダウンから起き上がる時のボタン連打で、台の上の灰皿が音を立てて揺れた。
それは、美保の動揺と焦りでもあった、
最後はジャッキーが振り向きざまに、ターン・ロースピンキックを決めてケリをつけた。
「ふーっ」
「はあぁーっ」
両者とも、息を深く吐いた。
３本目はパイの逆襲とも言うべき、怒濤のような攻撃から始まった。
鋭い足技の高蹴腿に続いて起き上がりに重ねての飛燕烈脚、ダウンしたジャッキーを飛び越えてからの回し蹴り、燕施蹴。
あっという間に、ジャッキーの体力は半分まで減った。
なおもパンチで押すパイに対し、ジャッキーはサイドフックキックでこれを牽制。間合いを広げた。
――どうする？
次の手を自問しながら、薫は周囲の風景が画面に同化して行く、不思議な現象に襲われていた。
視界全体に、闘技場があるように感じられていた。
心拍数や呼吸は最大限の興奮状態にあるのだが、頭は不思議と静けさを保っていた。
バーチャをやっていて初めて味わう、感覚であった。
ここからジャッキーの反撃が開始された。
それまで練習でも決めたことのない、ライジングエルボーから相手のよろめきを見越したダブルスピニングキック、そしてダウン攻撃。
今その技が決まることを指先が知っているかのように、ジャッキーは画面を舞った。
相手の出方も、それに対して自分がどう出るか、あるいはどう仕掛けるかも、思考を越えたレベルで瞬時に決定され、薫の神経を統率していた。
パイが押されているのは、誰の目にも明らかだった。
激しいジャッキーの攻撃に、寸でのところでガードするのがやっとの状態だった。
もちろんそれも、薫は手に取るようにわかった。
――今だ。
わずかに間合いを詰め、美保が「スラント野郎」と軽蔑した技――スラントバックナックルをパイに繰り出す。
それを受けるべく、しゃがみガードに入るパイ。
その瞬間、薫はレバーをニュートラルに入れた。
立ち上がったジャッキーから強烈な膝蹴り――ニーキックがパイの顔面にヒットした。
猛烈な勢いで、空中に浮かび上がるパイ。
美保が声にならない声を上げた。
それに構わず、薫は冷静に最後の技――サマーソルトキックを宙に舞うパイに決め、勝負に決着をつけた。
ジャッキーの爪先が描く軌跡は、例えようのないほど美しかった。
長い闘いが終わった。
荒い息をはずませながら、しばらく二人とも黙ったまま画面を見つめていた。
退屈な毎日が始まって行く。
陽射しも気温も昨日と大して変わらないのに、歩く街並みはやけに冷たく見えた。
学校に着いた薫はクラスに美保の姿を探したが、それは簡単だった。
一学期とは見違えるようになった彼女を、それまでは口も聞かなかった女子たちが取り囲んでいた。
その好奇心に満ちた視線や質問を受ける彼女を見て、薫は昨日のことを思い出していた。
あの闘いの後、薫は意を決して「変身」の理由を聞いた。
勝ったから、とかではなく、その時の美保なら打ち明けてくれる、そんな気がしたのだった。
「あのね」
しばらく黙った後、美保はとつとつと話し出した。
「本当は、自分でも嫌だったんだ、今までの地味な感じって。見事に浮いちゃうから」
自販機のコークで喉を潤しながら、美保は続けた。
「だから別にみんなと普通の格好したってよかったんだけど、でもなんか、意識して自分を周りに合わせて行くっていうの？そういうのが、こう、かったるいっていうか、他にやることあるんじゃないかって思って」
「わかってはいたんだ」
「そりゃ、ね。ノートに悪口書かれたり、席替えで最後まで残ったりしたら嫌でもわかるよ。でもそれに負けて迎合するのって、もっと嫌だった。自分が自分でなくなっていく様な恐さもあったし」
「案外、強かったんだ。相沢って」
「強かったよ、でも辛かった。なんかきっかけあれば、ぐれたかもしんない」
「きっかけ……ゲーセンに通うきっかけって、何だったの」
「あたし、昔から割とこういう所好きだったの。テレビゲームも得意だったし、前々から塾が隣の街にあったから、先生の目も届かなかったんで、そこで結構遊んでた」
「そうだったんだ」
「でもね、この夏休みの始まったころかな、バーチャで対戦やってたら、負けた方の男が去り際に言いやがったんだよ、『ブスがいい気になってんじゃねえよ！』って。あたしに５連敗した腹いせだったと思うんだけど」
「……クズだよそいつ」
「でしょ。その場はまた黙って耐えたんだけど、帰りの電車でとうとう泣いちゃった。その事だけじゃなくって、今まで周りから受けてきた仕打ちがどんどん思い出されて、ホームに降りてからも１時間は泣いてた」
気のせいか少し、美保の表情に影がさしたように見えた。
「だって、バーチャやってる時って、男とか女とか、外見がどうとかは全然関係ないでしょ、勝負には」
「うん」
「だから好きだったの、バーチャファイターが。自分が見た目で劣ってるって事、そんなに考えないで済んだから。自分が女だからとか、そんなうざいこと、考えないでよかったから。でもあの一言で、やっぱりそんな事ないんだって気付かされた。やっぱりどこまで行っても現実からは逃げられないんだって、気付かされた」
「……」
「でも泣くだけ泣いてからさ、家帰ってシャワー浴びて、真っ赤になった目を見て、あたし思った。女が外見で判断されるんなら、外見で勝負してやろうじゃんかって」
「それで、イメチェン」
「そう。恥ずかしかったけどね、最初は。でも勇気出して髪型を変えて、初めて自分用の化粧品とか買って、服も雑誌に出ているようなものを揃えて行くうちに、なんだか自分が今までとは違う人間になっていくのがわかった。周りと同じような姿になったけど、でもあたしはあたしだって、心のどこかで主張できるようになってた。それまでの、みんなとは別だっていう疎外感とちっちゃいプライドとは、全然違うの。叩かれても叩きかえせるような気がした」
「ふうん」
あらためて薫は、美保を見た。
――目、だ。
目が違うのだ。
あのころの、教室の隅で一人単語帳をめくっていた彼女とは、目が違っていた。
今の彼女は、澄んだ大きな瞳をしていた。
強い意志の力が、感じられる目だった。
「でね、それなりの格好になったんで、うれしくって街出歩いてたの。そしたら、あの時『ブス』って言った奴がナンパしてきやがったのよ！」
「わかんなかったんだ、全然」
「そう。まるっきり違う態度なの。当然だけど。そっけなく交わすのもなんだったから、話し聞くだけ聞いて、お茶とか食事とか食べるだけ食べて、あとは逃げちゃった」
「やるねえ」
二人とも顔を見合わせて笑いあった。
「それで、思ったの。人間て、ひょっとしたら他愛ないところで評価されていて、本人が本当はどんな人間かはあまり重大なことじゃないんじゃないかって」
「それは、……考えが過ぎるんじゃないのか」
「かもね。あなたに出会わなかったら、今でもそう信じていたかもしれない」
「俺と？」
「そう。あの日、偶然香坂君をゲーセンで見掛けて。で、あたしと対戦してくれたでしょ、本気も本気で。その時、外見がどうとかじゃなくて、ただ純粋にバーチャを通してだけあたしを見てくれたっていうのが、とってもうれしかった」
「そう、そうだったのか」
薫は、何と言っていいのかわからなかった。
なんだか美保が、急にまぶしく見えた。
なおも美保は、質問の渦の中にいた。
だが彼女は適当に話を合わせているだけで、決して薫に言ったのと同じ事は話さなかった。
――ひょっとすると。
そう思った薫の目が、美保と合った。
美保の左目が、軽く閉じられた。
周りの女子が、一斉に薫の方を向く。
一瞬ためらったが、薫も同じ合図を送った。
喧騒はさらに大きくなった。
（初出：１９９５年冬コミ）
あとがき
バーチャ２が大流行していた頃に書いたお話です。技の名前とか戦法とか羅列しすぎ（ぜんぶコマンド覚えたけど）。この時もう２８歳でしたが、結構ノリノリで書いてました。「無口で目立たないけど自分とだけは心が通じ合う（しかも趣味が同じな）女の子」と「なにか今までとは違ったことが起きそうな夏」に、まだリアリティを感じていたなあ。この２年後、ゲーセンの対戦台で結婚相手を見つけることになるなんて、さすがに思いもしませんでしたが。
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